奈良で生まれた美術散華

デザインを凝らした芸術的な散華は、奈良で生まれました。美術散華の歩みを解説します。

奈良における散華 〜散華と法要〜

近代の奈良においては、社寺の修復・復興などが多く行われました。そしてその記念法要において、寺に縁のある画家たちが絵を描き、木版画に仕立てられた豪華な散華が作られることがありました。

東大寺大仏殿大修理落慶法要

大仏開眼1250年記念法要

散華がはじめて現代人の注目を浴びたのは、昭和55年、天平時代の盛儀を再現した東大寺大仏殿大修理落慶法要の際でした。大屋根の上から散たれた1万枚の紙花は、きらめく金色の鴟尾とともに、多くの人々に印象づけられました。

東大寺では他にも、大仏開眼1200年(昭和27年)、聖武天皇1200年御遠忌(昭和30年)と継続的に散華が制作され、杉本憲吉氏が絵筆を奮った大型の散華が多く作られています。

法隆寺金堂壁画の複写と散華

聖徳太子1320年法要

法隆寺では、戦前・戦後を通じて金堂壁画の複写が行なわれてきました。この事業には、日本画壇を代表する画家たちが従事し、その蓄積は散華にも生かされました。さらに、聖徳太子奉賛会の結成も散華制作の大きな力となりました。特に昭和16年の聖徳太子1320年法要、同36年の聖徳会館落慶法要における散華は、画家、版木制作、摺り師、寺僧、奉賛者らの至高のコラボレーションとなっています。

唐招提寺南大門修復落慶法要

鑑真大和上1200年御諱

散華の歩みで特筆すべきは、昭和35年の、唐招提寺南大門修復落慶法要です。丸みを帯びた宝珠型、愛らしく仕立てられた散華は、香水がふりかけられ、ヘリコプターで上空から撒かれました。そして散華が舞う中を、輿に乗った国宝・鑑真像が厳かに登場する…。この趣向は、名演出として大変話題を呼びました。

唐招提寺では元来、散華にはシキミの葉を用いていました。シキミは若葉が萌え出す頃、5枚の葉をまっすぐ天に向かって立て、葉元に白い花をつけます。鑑真和上が奈良へ航路を進めているとき、備中岡山の山地に茂るシキミの姿を見て、インドの青蓮華に似ていると指摘したといいます。以来、シキミは仏事に取り入れられ、通年入手可能な常緑樹であることもあり定着しました。

その際、折々の生花も華筥に入れられ、散華に用いられました。その植物特有の生気や香りは、宗教儀式に荘厳さや法悦感をかもしました。香水をふりかけた散華は、儀式を引き立てるこの高貴な香りを見事に再現させたものと言えるでしょう。

この森本長老のアイディアは、南都の大寺全体に及びました。東大寺の記念法要でも、香り袋を添えられた記念散華が参会者に配られ、その愛らしさが好評を博しました。

森本長老の散華収集

徳力富吉郎

森本長老のアイディアは、長老の「道楽」を自認する散華収集から生まれました。そのコレクションは、江戸時代以前と見られる、手書きの季節の草花文と公卿に金銀泥を散らした王朝風の散華から、庶民信仰を伝える印仏散華まで、多岐に及びます。

長老はこれらのコレクションから古い形の肉筆の散華を探し出し、その形での製作を、京都の木版印刷師・徳力富吉郎氏に依頼されました。完成した散華は仏事で用いられるとともに、行事の終了後に参拝者への記念品として配られ、好評を博しました。

なお、徳力氏は、森本長老から拝見した散華を、「定かではないが、足利時代くらいに遡るものかもしれない。蓮弁の形は大変いい形をしており、そのまま写した」とおっしゃっています。

温故知新 〜肉筆から木版芸術に〜

聖と俗の空間を荘厳にしたこれら散華との対話から、唐招提寺の木版多色刷りの散華は生まれ、それは南都の大寺の特色にもなりました。奈良の古寺では以降、それぞれ意匠を凝らした寺独自の散華を考案してきました。

薬師寺

左から福王子法林、吉岡堅二、田村孝之介。

薬師寺には多くの日本画家たちが競うように散華原画を寄せ、木版としました。白鳳伽藍復興の嚆矢となった新三重塔落慶法要では、塔上から5万枚の散華が撒かれました。色紙の中央に散華を一葉摺り、鑑賞用としても頒布されました。この散華をあしらった画幅は、料亭の座敷の床の間にも飾られ、大和特有の光景となっています。

京都

法然院

徳力氏の地元京都では、法然院や高山寺で色刷りの散華が販売されています。西本願寺阿弥陀堂の落慶法要では、50万枚の散華が用意されました。絵柄は、本堂と新しくなった門と茶亭飛雲閣の3種、徳力氏の木版画をオフセット印刷したものです。木版の散華は、周囲に本願寺三十六人集の意匠を借りて彩色し、色紙中央に1枚ずつ摺りこんでいます。それまでは実用的散布品であった散華が、芸術家とのコラボレーションにより鑑賞用となり、かつ古美術にもなりました。

一葉の散華に込められた人々の祈り

散華と「聖なる花」

蓮
蓮(はす)

美術散華の形は、蓮弁に由来します。蓮は、泥の中から生じながら汚泥に染まらず清浄な花を咲かせるとして、紀元前のインドにおいて既に「聖なる花」と称えられていました。そして仏教伝来とともに、寺の柱や瓦、仏の蓮華座などに数多く造形化されてきました。

その崇高な花姿はまた、仏陀釈尊の教えに例えられました。釈尊菩提樹下の悟りの折には、蓮華が一斉に咲きそろい、釈尊の微笑みに応えるように花弁がはらりと地に散ったとされています。

散華の功徳

散華も、仏教伝来に伴ってインド、中国、朝鮮半島を経て日本に伝わりました。「一花を以って一仏に散ぜば、花に因りて尽(ことごと)く弥陀を見ることを得ん」。散華の功徳を説くこの文言は、宗派を問わず諸経に現れています。

一葉の散華には、人々の祈り、歴史、技術、創意工夫が込められています。美術散華は、昭和の鑑真と称された森本長老の「道楽」が開いた、融通無碍の小芸術にして、一即多、多即一という仏教精神の具現と言えるかもしれません。

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